青焼きの図面等を電子化することに興味があり、まずは我が家の青焼きをスキャンしています。 表紙には私の地元、千種台団地(名古屋市千種区)の昭和30年代初頭の地図が載っています。住所が旧地名である千種区鍋屋上野町となっており、千種台中学校が城山中学校の分校だった時代です。このエリアは名古屋市住宅供給公社が分譲住宅や市営住宅を昭和30年代に一斉に建てました。 新地名は自由ヶ丘や希望ヶ丘など如何にも戦後民主主義らしい命名の仕方です。ご近所の古い住民の方に聞いた話によれば、新築分譲当時は競争率が高く、当選した世帯はなぜか新聞記者や教員が多い結果となり抽選の過程で何らかの不正があったのではという疑惑もあったらしいのです。
我が家は昭和33年に完成したCB造(補強コンクリートブロック造)の家で築65年になります。昭和30年度に名古屋市住宅供給公社が作成した我が家の青焼きには、手書きの構造計算書もありました。中身は理解できませんが、CB造の家は堅牢なのでしょうか、今でも目立ったトラブルは起きていません。