土. 4月 27th, 2024

公務員振甫住宅(1966年完工→2010年廃止)とは、名古屋市千種区振甫町にかつてあった愛知県の公務員専用団地で、私が0歳〜6歳(1981年〜1987年)まで住んでいました。私の心の故郷であり心の本籍地でしたが2010年に閉鎖され、44年の歴史に幕を閉じました。敷地売却が決まり団地は全て取り壊され、現在は民間の分譲マンション「アルバックス覚王山ブランシェ」が建っています。悲しきかな由緒ある地名である「振甫」は新しいマンションの呼称には採用されませんでした。「覚王山」にした方が売れやすいのでしょうが残念な気持ちがします。

※撮影時期:2010年4月

※写真撮影機材:Nikon EM+COSINA 19-35mm F3.5-4.5

※動画撮影機材:SONY CCD-TR2000

これが住んでいたD棟です。振甫住宅は全7棟で構成された3階〜4階建てのRC造で、アルファベットにて棟名を付与、総戸数は記録がなく推定ですが104戸、1戸あたりの延床面積はおおよそ56㎡の3DKでした。

1987年に退去・引っ越し後も振甫住宅へは数年に一度は訪れてはいましたが、いずれ敷地売却するつもりだからなのか県公社の管理はなおざりで、サビだらけの集合ポスト、玄関ドアホン無し、根本から腐食した危険な街路灯を放置するなど年々みすぼらしくなっていき、修繕が不十分な印象は拭えませんでした。建物自体にはコンクリートの爆裂などはほとんど見受けられず堅牢そうで、良いコンディションを保っていただけに悔しい思いでした。

101号室。ここが我が家でした。

今でもたまに夢の中でこの振甫住宅D棟101号室が登場することがあります。生まれ育った家が解体されるのはとても悲しいことです。今でも団地タイプの高経年な分譲住宅に関心が高いのは、失った故郷を取り戻すべく振甫住宅の残像を追い求めているからなのでしょう。

「振甫」とは「しんぽ」と読みます。江戸時代に明国(中国)から渡来した帰化人であり、地元の名士であった「張振甫」に由来した地名です。振甫プール(2009年廃止)、市立振甫保育園、市立振甫中学校など地元主要施設の名称に採用されています。

振甫住宅のあった場所は、かつて振甫池と呼ばれた池があり、池を埋め立てた沼地のような所に振甫住宅が造成されたと思われます。その影響なのか1階なこともあり湿気が強かった思い出があります。団地内のアスファルト舗装が陥没する事象も多かったのです。

1985年、私が4歳のときのD棟前。団地の水捌けが悪く、降雨時は溝から雨水がすぐ溢れていました。

※撮影機材:FUJICA フラッシュフジカ

By 野澤電機

野澤高士 1981年名古屋市生まれ。

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