土. 4月 27th, 2024

〈ハングルとの出会い〉

今から約30年前、1990年代なかばの中学生のときに中学校のハングル語という課外クラブに入っていました。なぜハングルを選んだかといえば、昭和30年代末から韓国朝鮮語へ興味があった父が昔NHKのハングル講座を自習していたことがあり、私も興味を持ったからです。顧問の英語の先生はハングルに関しては無知で録音テープを流しテキストを読み上げるスタイルでした。私ものみこみが悪いためほとんど学習効果はありませんでしたが、これが韓国語との初めての接点であったのです。

韓国は軍事独裁がやっと終わり、90年代当時は民主化直後で韓国ドラマブームはまだ到来しておらず、我々日本人から見た国としてのイメージはまだ発展途上国でした。

〈男同士が手を繋ぐ?〉

中学から通っていた個人経営で少人数の塾で同級の韓国人が一人いました。彼はいわゆる在日ではなく本国から親の仕事の都合で日本に滞在という経緯でしたが、母語の韓国語のほか日本語能力も完璧で日本人と見分けがつきませんでした。1996年に全斗煥元大統領へ死刑判決が下った際、全斗煥氏と盧泰愚氏が裁判所で手を繋いでいる写真が中日新聞に掲載され、それを見た塾の先生が男同士が手を繋ぐなど同性愛的でおかしいのではと言いました。すると韓国人の彼はそれを強く否定し、男同士が手を繋いでも何もおかしくないと言い、塾の先生から許可を得て、塾の電話機からわざわざ自宅の親へ電話をかけて確認、親もおかしくないと言っていると主張したのです。これは後から考えると日韓の対人距離の違いに起因しており、韓国的価値観では親しい友人との距離感が密で、同性同士で手を繋ぐことにさほど違和感はない訳ですが、中学生のときは私も塾の先生もそれがわからずちょっとした論争になりました。日韓文化摩擦ですね。

〈韓流ブーム〉

時は流れて2000年代、韓流ドラマブームが到来します。韓国は国際社会で頭角を現しほぼ先進国になり軍事独裁の負のイメージは過去のものとなりました。私も大長今(チャングムの誓い)や許浚(ホジュン)、商道(サンド)など熱中して見ました。特に興味深く見たのは第5共和国という政治ドラマでした。2000年代後半期は家族親族で観光旅行として韓国へは何度も行き、ソウルや釜山、慶州などを回りました。韓国は日本語話者が多い国なので、旅行中に困っていると日本語で助けてくれたり悪い印象は全くありません。

〈ハングル再学習〉

中学時代に身につけることができなかった韓国語をまた学びたいと考え、2019年に愛知大のオープンカレッジで週1回、韓国語の初歩講座を受講することになりました。しかし当時は嫌韓ムードが強い時勢のためなのか受講者数が少なく、講座の継続が難しくなり初歩の前期のみで終了してしまいました。あれから5年が経ち、なんとかゆっくり読み取り発音ができたハングルも忘れ、韓流ドラマもぜんぜん見なくなってしまいました。またいつか韓国語学習を再開したいものです。

By 野澤電機

野澤高士 1981年名古屋市生まれ。

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